私は、以前から原発偏重の電力会社に対し、自然エネルギーをもっと増やすべきと考えておりました。
当時、私はむつ環境管理事務所の初代の所長としてむつに赴任しておりましたが、気象観測に詳しいということもあって誘いを受けて、鰺ヶ沢に風車を建設するために青森に作ったNPOの理事として参加しました。
大手企業が青森県にもたくさん風車を建てておりますが、それとは違って、市民から50万円の資金を集めて1基ずつ建てて、2.3%の利息を付けて15年で返済するというものでした。
弘前で開かれた「風はおくりもの」という集まりでこの事業を紹介させて頂く機会がありましたが、私の前に電力会社の方が竜飛で稼働していた風車の発電量の変動をグラフで紹介し、風車の電気はこんなにも汚いものですよと紹介されたのには驚かされました。
鰺ヶ沢の風車が軌道に乗った後、次をどうするかということになり、かなり紆余曲折がありましたが、八戸から参加したメンバーで新たなNPOを立ち上げ、下北の大間に1基立てることになり、私は実務ではNo.2にあたる常務理事として参加しました。
当時、世界の風車の主流は2,000kWなのに日本製の最大が1,000kWでしたのでそれを採用しました。 それでも2億6千万円しました。
また、当時電力会社の風車電力の売電価格が安かったために、17年間買電し続けて儲けは2千万円程度と言われ、年間では1人分の給料にもならないので、NPOの担当者は全てボランティアでした。
契約のため、仙台の東北電力本社を訪れた際に、若い担当者から「この売電価格でも風力発電をやるつもりですか」と言われて悔しい思いもしました。
私は、大間の風車が軌道に乗った後、今の会社を立ち上げてしまったために、二足のわらじで迷惑を掛けてはいけないと思い風車事業から抜けてしまいましたが、その直後に売電価格が大幅に上がったために、今では余裕を持って太陽光発電等にも事業を広げているようです。
1年ほど前、大間を訪ねる機会があり、元気に回っている風車を見て、まぐるんちゃんの名付け親の一人としては、ひとしお感慨深いものがありました。
現在、私は一般社団法人「市民風力発電おおま」の副理事長に復帰して、約3年後に迫った事業終結を、混乱も遅滞もなく行えるよう準備を進めているところです。
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